Damien Hirst 「No Love Lost」展の会場風景
展示はハーストが一番最初に描いた作品「Floating Skull, 2006」からスタート。この作品が25点中もっとも写実的でシンプル。この写真では洒落頭の上下が白く見えるが、それは光の反射の具合。洒落頭以外にモチーフやラインはなく、黒に限りなく近いダークブルーの背景から骸骨がうっすらと浮き上がるような感じ。


文&写真: 伊東豊子(Toyoko Ito)

デミアン・ハーストの待望の個展「No Love Lost」がウェストエンドのウォレス・コレクションで始まった。ハーストの作品がロンドンで公開されるのは、1億1100万ポンド(当時210億円)という前代未聞の数字をはじいた去年9月のロンドン・サザビーズでのワンマン・オークション以来。

個人資金250,000ポンドを投じて改装したロココ調の室内を飾るのは、未公開の新作絵画25点。ピカソの青の時代じゃないが「The Blue Paintings」と呼ばれるこれらの作品は、宇宙の彼方を連想させるダークブルーの背景から洒落頭や灰皿や水玉などハーストの定番モチーフが浮き上がるメランコリックな作品。

具象絵画――それもおそろしく内証的で、マテリアル感の強いもやもやした油彩。ゴッホじゃないが、いまどき花瓶に花なんてロマンチックな作品もある。しかも全点、絵の描けぬことで有名なハースト自身がひとりで描いたもの。さらに展示場所は、まるでその系譜に「オレの名を載せよ」と言わんばかりにレンブラント、ニコラ・プッサン、フラゴナール、トマス・ゲインズバラなど西洋美術の名画家たちがびっしりと並ぶ由緒ある美術館。

これはコンセプチュアル・アートを機軸に、サメのホルマリン漬けやダイヤモンド髑髏などショッキングな作品で世間を騒がせてきた「恐るべき子供」らしからぬ展開だ。もちろんハーストと絵画との関係は今に始まったことじゃなく、例えば代表作の「スポット・ペインティング」などは、デビュー当時から現在まで続いている長期シリーズになるが、自分で描いたのは最初の5点のみと公言している通り、これらはみなアシスタントが描いたもの。その点で今回の「No Love Lost」シリーズはハーストにとっては異例だ。


Damien Hirst 「No Love Lost」展の会場風景
プレス内覧会で大勢のカメラマンに向かってポーズするハースト。この日のハーストはとても気前がよく、ロケーションをあちこちと変えて、カメラマンにお付き合い。


この方向転換は去年のソロ・オークションに比べればスキャンダラス性は低くとも、キャリアの視点から見るとかなり無謀のようだ。サメのホルマリン漬けから具象絵画への方向転換は、喩えてみるならば流行歌手がオペラに転向するようなもの。いくら自由に見えても、一度確立したスタイルや媒体や制作アプローチは美術家にとって大切な看板。一種のブランドのようなものなので、そこから離れるのはリスクが高く、いくら売れている作家でも避けて通るのが普通だ。

この無謀な行為を鷹の目をもった英国の評論家たちが見過ごすはずがなく、「絵画の技巧が全くもって欠如している」「恐ろしく生気がない」「遠くから見ると様になっているが、近くで見るとボロ丸出し」などと厳しい批判が早くも飛び交っている。実際のところ私の目にも、どれもこれも似たような構図の作品群は、画家志望の学生による満足のいく一点にたどり着くまでの悩める模索の工程のようで、「これが本当にあのハーストの作品?」「自慢のパンク精神はどこに行ってしまったの?」と首を傾げたくなる。

しかし、そうは言っても、ハーストのやることなすことから目が離せないのが現実。これは私だけじゃなくて、プレス内覧会に集まった報道陣の数を見ればわかるとおり、英国の大方の評論家やジャーナリストにとっても同じこと。ハーストの一挙手一投足の虜になってしまっている。とくに不況の影響で美術業界全体のムードが落ち込み、羽振りのいい「ビジネス・アート」が浮いた存在になり、これまでのロシア熱やアラブ熱もなんだか冷めて、中国もオリンピックと共に過去のものとなり、次のトレンドを求めて模索がつづく今、オーソドックスな絵画とは言えども過去とさっさと決別し、自分の道を進むハーストに一筋の希望の光を求めてしまうのは、決して私だけじゃないでしょう。

 


Damien Hirst 「No Love Lost」展の会場風景
上)フランシ・スベーコンの初期の作品を想起させる一連の油彩。骸骨の横に描かれた口のようなモチーフは、サメの顎の骨をベースにしたもの。
下)バラの花と蝶をモチーフにした油彩「White Roses and Butterflies, 2008」


No Love Lost, Blue Paintings by Damien Hirst
091014 - 100124
The Wallace Collection
www.wallacecollection.org

 


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