Cathy Wilkes
I Give You All My Money 2008
Photo: Toyoko Ito



文: 伊東豊子(Toyoko Ito)

便器に座ったマネキンに、オフィスっぽいガラスの壁、コンピューター制御されたカメラで撮った映像に、とつとつと美術論を語るアーティスト。キャシー・ウィルクス,、ゴシュカ・マッキューガルナ・イスラムマーク・レッキーの4名がノミネートされている今年の「ターナー賞」の展示は、スタイリッシュで洗練されてはいるが、展示室のマネキンのように冷たくて味気が
ない。アカデミックで、二番煎じが目立ち、狭いアート業界のなかでわいわいやっているムードがなんだか強い。実に4名中3名がギャラリーや美術展というモチーフに触れている。

そんな内輪ムードは、ドアを開けた瞬間から始まる。ガラスのパーティションのような立体と、モノクロ写真のコラージュが数点。今年のベルリン・ビエンナーレにも選ばれたゴシュカ・マッキューガの作品になるが、いずれも他人の作品を拝借したものになる。立体は、建築家ミース・ヴァン・デル・ローエのパートナーであったリリー・ライヒが1929年に国際博覧会で発表した作品のリメイク。コラージュの方は、英国の画家ポール・ナッシュと彼のパートナーのアイリーン・エイガーの作品を組み合わせたもの。

メッキューガの特徴は、美術展づくりや作品の保管など美術館の業務を制作の対象とし、好きな作家について学者なみのリサーチをし、他人の作品を自作に取り込むこと。その興味の対象は今回のように美術家のパートナー関係にまで及ぶ。どちらかと言うと焦点は男性の名声に隠れて忘れ去られてしまった女性側にあるようで、そこにフェミニズムがかった掘り起こし精神を感じなくもないが、この手の仕事は普通はキュレーターの領域のような…。英国では近年益々このような領域侵犯的アプローチを好む作家が増えているが、彼女はどうもその筆頭のようだ。

 (上)Goshka Macuga
Deutsches Volk - Deutsche Arbeit

Photo: Toyoko Ito

(左)Runa Islam
Be The First To See What You See As You See It 2004
Courtesy Jay Jopling (London) © the artist


映像3点を展示中のルナ・イスラムの場合、ギャラリーは事が起きる場。どことなく陰のある美人が、陶器の展示品をぼーっと見つめながら、眉根ひとつ動かさずに次々と壊していく。静まりかえった会場のなかで、粉砕のシーンがスローモーションで美しく捉えられ、これが壊れた機械のように果てしなく続く。その隣の部屋では、この夢想的な映像とは対照的に、モーション・コントロール・テクノロジーでカメラの動きを制御して撮った工場の映像が流れている。カメラにこの作品のタイトルである《CINEMATOGRAPHY》という文字を綴らせているため、場面が振り子のように切り替わり、真面目に見ていると気分が悪くなる。ずいぶんと変わった発想だが、ここでのポイントはカメラをコントロールする自由を失った撮影者と、逆にそれを得たコンピューター。イスラムはこの作品のように映像制作のメカニズムを暴く解体的なアプローチを得意とするが、「何」という中身の部分よりも「どう」撮るかに焦点が置かれているため、映像は美しく完成度も高いが、つかみ所がないのも確か。

次のマーク・レッキーも映像が主だが、イスラムがヌーベルバーグならば、こちらはアニメ。『ザ・シンプソンズ』のホーマーをはじめ、ガーフィールド、フィリックスなどアメリカンコミックのキャラクターがモチーフとして頻繁に登場する。だがこれらのキャラはレッキーの関心事のわずか一部のようで、美術館で行なった講義を編集した映像作品には、ジェフ・クーンズやフィリップ・ガストンの作品画像からハリウッド映画や車メーカーの広告ビデオまで、様々かつ膨大な数の画像・映像がサンプリングされ、世に溢れるイメージを包括的に集めた作品になっている。これらを通じて作家自身がイメージについて講義をしていくわけだが意味がちんぷんかんぷんで(私のおツムのせいかもしれないが)、これを意図したかどうかは疑問だが、頭でっかちな大学教授の講義をパロッたパフォーマンスのように見えなくもない。ちなみにレッキーはフランクフルトの名門美大シュテーデルシューレの大学教授だそうなので、パロる必要はないかもしれないが。


Mark Leckey
Production still from Felix Gets Broadcasted 2007
Courtesy Cabinet, London. Private Collection
© Mark Leckey


さて、以上三名がコンセプト重視の頭脳プレイに傾倒しているのに対し、最後のキャシー・ウィルクスは、裸のマネキンが便座に座った大衆好きのするインスタレーションを発表している。英国のスーパーマーケットにあるベルトコンベアー式のレジを中央に置き、その周囲に乳母車や食器や食事の食べかすなどの日用品を配し、それらをデパートのディスプレーのパロディーのように展示。主婦や子育てにちなんだ小物が乱雑に置かれたそれらを見ていると、10代で子持ちになったヤンママ(死語?)の叫びが聞こえてきそうな気もするが、その一方で、物と物との関連性や文脈が見えにくく、形骸化した物だけがそこにあるという印象も受ける。プラスチック、マネキン、安っぽい大量生産品がその表面性をさらに強調している。よってこの作品の意味もさっぱりだが、少なくとも美術史や美術理論をベースにしていないだけに、想像する余地がまだある。

こちらのメディアではウィルクスの「便器」がデミアン・ハースト、トレイシー・エミンなどタブーで話題をさらってきたターナー賞の伝統を継ぐ作品として今のところ一番人気のようだが、よりシビアな評論家の間ではルナ・イスラムという声も高い。私もイスラムが頭一つ出ていると思うが、果たしてどんな結果が出るのか。12月1日に受賞者一名がテレビ中継にて発表される。


Turner Prize 2008
080930 - 090118
Tate Britain

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