Henrik Plenge Jakobsen,
J’Accuse at the South London Gallery, 2005
Photos: Marcus Leith





アートは謎解きだとよく思う。コンセプトと呼ばれるアーティストの思考に直面する度に、落とされたヒントを嗅ぎまわりジグソーパズルのようにそれらを繋ぎ合わせている自分がいる。ヒントは美術理論の決まり文句だったり、時勢にあった事柄だったりと様々だが、今回の「J'Accuse」みたいに歴史に便乗したヒントも効果的かも知れない。少なくともそれだけで想像力は目の前の展示物を飛び越え、19世紀のフランスへと促されてゆく。

日本語にすると「我、弾劾す」となる「J'Accuse」は、エミール・ゾラが1989年にフランスのオーロール新聞に発表した、史上最大の論争を巻き起こしたと言われる記事の題名だ。この記事は、当時のフランスを人権擁護派と国粋派に二分した冤罪事件、ドレフュス事件の中心人物であるユダヤ人陸軍大尉アルフレッド・ドレフュスを擁護して書かれたもので、これによりゾラは軍に対する名誉毀損で告発され有罪に。一時的に英国に亡命したもののドレフュスの無罪決定(06)を見ずして1902年に自宅で謎の死を遂げている。





Henrik Plenge Jakobsen,
J’Accuse at the South London Gallery, 2005
Photos: Marcus Leith


一方、ヘンリック・プレンジ・ヤコブセンの「J'Accuse」は、一切が白と黒に要約された世界として存在する。展示室にはハープシコードの音色が響き渡り、「J'Accuse」と書かれたジグザグ模様のレコード盤が壁を覆っている。入口付近には、カツラやコイン、泥の入ったバケツやシャベルなどが入った陳列棚。その奥には、巨大なホーンを付けたスピーカーが載ったステージ。右手には、そこから会場を見下ろせるように設けられた壇場。その上には机が設置されラップトップコンピューターが一台置かれている。何かを象徴していますと言いたげな物が、分裂症患者の思考を思わせるように存在している。

しかし最大の分裂は、この2つの「J'Accuse」の間に存在する。プレスリリースによる熱い洗脳にも関わらず、この二つは容易には繋がってくれない。壇上に上ってラップトップコンピューターに流れる映像に、カツラとマントを被った判事らしき男3人の姿を見て初めてドレフュス事件への扉が開けたような気がしたが、これじゃあまりにも短絡的すぎる。バロックなカツラ=ドレフュス裁判と言っているようなものだ。「で、どうしたの?」「だから、何なの?」と聞かずにはいられない。




Henrik Plenge Jakobsen, The Mineral Judges, 2005


謎は限りない。有名どころのアーティスト二人、ケリス・ワイン・エヴァンスとマイク・ネルソンが扮するテムズ河沿いで泥さらいをする判事は一体何を意味しているのか。「J'accuse」とロゴの載ったレコード盤は何を意味するのか。また、なぜそこから17世紀の英国の作曲家パーセルの曲が流れてこなければいけないのか。そして、サーカスのようにおどけたステージは何の為にある。ゾラがドレフュスが、人権擁護派が国粋派が、国を二分した出来事が一体どこに当てはまる!

白と黒で統一された世界でありながらも、ここには白黒はっきりするものがなにもない。読もうと思えば、白黒の世界を人権擁護派と国粋派に分裂した当時のフランスに、またより広義に解釈するならば、白黒はっきりするものなど存在しないこの世の中を指差していると言えなくもない。しかしここまで行き着くには、執拗にヒントを拾いそれらを繋ぎあわせるのと同時に、創造力を逞しく使う必要がある。謎を解く者をあざ笑うかのように置かれた支離滅裂な作品を前にこれをするのはかなり堪える。

"J'Accuse"
Henrik Plenge Jakobsen
050114 - 050227
South London Gallery


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