このタイミングでキリストの最期と来られては、メル・ギブソンの映画「The Passion of the Christ」を思い出さずにはいられない。日本語にすると「キリストの受難」となるこの映画はキリストの最期の12時間を映画化したもの。これまでにないグラフィカルな描写が話題になると同時に、ウルトラ級に保守的なギブソンの解釈が反ユダヤ主義という批判を呼びローマ法王を巻き込む宗教論争にまで発展した。

ガゴーシアンで展示中のデミアン・ハーストとデイヴィッド・ベイリーの写真シリーズ「The Stations of the Cross」も、実は同じ題材を扱ったものだ。こちらは日本語にすると「十字架の道行(みちゆき)」。「Passion(受難)」と並んでルネサンス期以降、絵画や彫刻に表されてきた主題で、キリストの死刑の宣告から埋葬までが通常14の場面に分けて表される。

牛の頭、蓋骨、タバコ、刃物、有刺鉄鎖……。これらの物がシンボリックに、また時には静物画のようにレイアウトされたハースト達の作品からは、これらがキリストの受難を描いた写真であるとは分かり難い。グラマーなヌードモデルの存在、ドラッグやセックスや同性愛を仄めかす現代的なイメージも、この作品の解釈をより一層難しくさせている。

ギブソンほどではないが、血とタブーに塗られたハースト達の作品も教会側からそれなりの顰蹙をかった。「これらのイメージにはショックと宣伝しかないようだ。幾つかのものについては、言おうとしていることを理解するのが非常に難しい」と英国国教会のスポークスマンからコメントがあった。しかしそんな非難の言葉もどこ吹く風。作品は一枚15,000ポンド(約300万円)で売りに出された。

キリストの受難の道をショッキングに描いて、物議をかもし、ビジネスとしても成功。こう書くとギブソンの映画とハースト/ベイリー組の写真は非常に似て聞こえる。しかし実のところ、両者は本質的な部分でだいぶ違うようだ。

ギブソンの映画はある意味で宗教映画と言える。約30億円という私財を投じて、自らが信じる解釈を含めて聖書の話を映画化したこの作品は、エンターテインメントであると同時に観客にキリスト教の教えを伝えるものでもある。布教としての機能を持つという点で、現代の映画であるにもかかわらず、祭壇画やチャペルの装飾として宗教的役割を果たしてきた西洋の伝統的なキリスト教絵画に通じるものがある。

一方、キリスト教信者ではないハーストにとっては、作品が持つ布教としての機能などは重要ではなさそうだ。キリスト教とキリスト教美術に対する造詣が深く、図像学を応用してそれにベースした表現はするものの、決して宗教美術を作っているわけではない。むしろ彼は、中世以降、絵画や彫刻などのメディアを通じて布教活動をしてきたキリスト教という組織自体をテーマにしてしまっている。

その点が良く分かるのが、性的なイメージが沢山盛り込まれた今回の作品についてハーストが語った言葉だ。「こうやって教会は人を集めているんじゃなかったっけ?彼はさあ、知ってのとおり若くて、見た目も良くて、天を見上げて:無罪潔白。」と、皮肉たっぷりに、魅力的なキリスト像を使って布教活動をしてきた宗教団体ことを指摘している。

ハースト達のこの作品は、もともとはファッション雑誌『Another Magazine』用に制作されたものだ。因ってイメージ的にもキリスト教云々というよりは、演出に力を入れたファッション写真的な要素が濃くなっている。しかし、今回の発表のタイミングとハーストがこれまでにもキリスト教へのコメントと受け取れる作品を手掛けてきたことを考慮すると、ギブソンの映画が巻き起こした社会現象や宗教論争を意識しないでこれを作ったとは考え難い。メディアは新しくとも想いはルネサンス期に留まっているギブソンに対し、ポストモダン的切り口でそれにメスを入れるハースト。同じような事をしているように見えて、その動機はだいぶ違うようだ。

文・訳:伊東豊子(2004年5月25日)


Damien Hirst & David Bailey
"The Stations of the Cross"
04/04/30 - 04/06/05
Gagosian

 


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