Gabriel Kuri, Untitled, 2003
Courtesy of kurimanzutto, Mexico City
© 2004 Gabriel Kuri


マーティン・クリードみたいな作家が13人と聞いたときには少々驚いた。ターナー賞作家とは言え、クリードは電気が点滅するだけの空っぽの部屋を作っているような作家だ。それじゃいくら頭数を揃えても10分もあれば十分と高をくくっていたのだが、実際のところかなり違っていた。確かに、控えめな作品が目立つ。が、それだけじゃない。ここに集められた作品はみなユーモアのセンスが光る楽しいものばかりだ。アートのこき下ろしにかけてもみな天下一品。中にはユーモアを超え馬鹿らしく思えるものもあるが、そんなものでさえ笑いに押されてついつい大目に見てしまう。

クリードは今回も作品隠しに力を発揮。タイルを積み重ねただけのシンプルな立体は、展示室に入って直ぐという目立つ場所にあるにもかかわらず、みごとに床に溶け込んでしまい視界から消失。アンドレアス・スロミンスキー(Andreas Slominski)の壁は、素人の目にはごく普通のブロック塀にしか見えないが、上から下へと積まれた愚行の産物。愚行とという点ではトニー・フェーエル(Tony Feher)も負けず、作品はギャラリーの窓から屋根を飛び越えて庭の木まで「紐」を架けたもの。その先端には水が入ったペットボトルが一本ぶらぶら。突拍子のない発想に首を傾げながらも、なぜか笑みが漏れてしまう。



Tony Feher, On a Fleeting Necessity, 2004
Photo: © Toyoko Ito, 2004

この展覧会を面白くしているのが、ペットボトルやラケット、傘などのごくありふれた日用品の存在と、それが生み出す意外な効果だ。マルセル・デュシャンに影響を受けたというガブリエル・クリ(Gabriel Kuri)の素材は身近も身近、スーパーや雑貨店で入れてくれるビニール袋だ。これを天井の扇風機に結びつけて、風船が浮かんだような仄々とした光景を演出している。グロテスクかつ美麗な映像を得意とするピピロッティ・リスト(Pipilotti Rist)の素材も、小物のパッケージに使われているプラスチック製容器とごく庶民的。だがそのチープな素材は映像プロジェクターからの光と戯れながら、本来の姿を忘れさせるほどポエティックなものへと変貌している。



Pipilotti Rist, Apple Tree Innocent On Diamond Hill (Apfelbaum unschuldig auf dem Diamantenhugel), 2003
Courtesy of Galerie Hauser & Wirth, Zurich and London
Photo: Tse-Ling Uh
© 2004 Pipilotti Rist

このように「State of Play」展は、見方によっては、どんなに粗末な物でも美術素材になれると主張しているような企画と言える。数々の日用品の裏には、アートを高尚なものから身近なものへと、あるいは日用品を美術品の域に高めようとする作家の意志が感じられる。しかし、私がマウリツィオ・カテラン(Maurizio Cattelan)のポスターを探しながらケンタッキー・フライドチキンで痛感したことは、皮肉なことにその逆、アートと日常との距離だった。ギャラリーのスタッフからこの店にあると聞いて来てみたものの、カテランの作品らしきものは見当たらない。堪りかねて従業員に聞いてみると、

「えっ?ここで働きたいの?だったらマネージャーに聞いてよ」、と会話が噛み合わない。

「そうじゃなくて、サーペンタイン・ギャラリーの企画で、モーリツィオ・カテランってアーティストが・・・」

最後まで言わずに言葉を呑んでしまった。彼女の顔に、「ギャラリー?アーティスト?なに、この変な女。頭おかしいんじゃないの。」という文字が読み取れてしまったからだ。カテランのアラビア語で綴られた安っぽいポスターは、店の外の薄汚い壁に貼られていた。みごとに周囲のシーンに溶け込んでいる。オックスフォード・ストリートという繁華街にありながらも、誰も足を止めない。業者がポスターの下の換気扇を調べに来たが、ポスターの存在なんてまったく無視だ。



Maurizio Cattelan, Untitled, 2004
地下鉄マーブル・アーチ駅側にあるケンタッキー・フライドチキンの外壁に貼られたカテランのポスター。
Photo: © Toyoko Ito, 2004

これがカテランやサーペンタイン・ギャラリーの意図するところだったとすれば、それはそれで成功なのかもしれない。なにせ空気のように日常のシーンに溶け込み一体化してしまったのだから。ギャラリー内の展示も楽しく、アートと日常との仲睦まじさがたっぷりと感じられた。しかし最後に私の心に残ったのは、アートが気にかけるほど日常すなわち俗世間はアートのことなんか気に留めていないというシビアな現実、片想いに気づいていないアートの姿だった。

文:伊東豊子(2004年2月9日)
 © Toyoko Ito, February, 2004

State of Play
040203-040328
Serpentine Gallery, London


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