写真界のターナー賞「The Citigroup Private Bank Photography Prize(シティーグループ・プライベート・バンク・フォトグラフィー・プライズ)」の発表の時期が近づいてきた。今年のノミネート者はElina Brotherus(エリーナ・ブロゼラス)、Shirana Shahbazi(シラーナ・シャーバジ)ら20代に、Roger Ballen(ロジャー・バレン)、Philip-Lorca diCorcia(フィリップ=ロルカ・ディコルシア)、Thomas Ruff(トマース・ルフ)らキャリア組が加わった5名。

ナン・ゴールディン(ホワイトチャペル・アート・ギャラリー)、マリオ・テスティノ(ナショナル・ポートレート・ギャラリー)、マーティン・パー(バービカン・センター)と今月のロンドンは売れっ子写真家のショーが耐えないところだが、こういったグラマーな写真展にもまして私にとって外せないのが実はこのシティーグループの賞だ。

その理由は、上記のような有名ギャラリーで個展を開ける一流写真家であったとしても、そう簡単にはこの賞にノミネートされないことを知っているからだ。優れた技術を持ち魅力的なイメージを作り出すことが出来たとしても、それだけじゃ審査員の眼鏡には適わない。この賞に選ばれるには、写真という表現メディアに対する時代にあった議論の声が必要なのだ。ターナー賞に比べられるのも、この討論の場的な要素ゆえと言えるだろう。

では一体、今回はどのようなメッセージが込められてるのだろうか。また、審査員に好まれているのだろうか。大雑把に言って二つの傾向がみられる。一つは、「写真は真実を捕らえる」という写真のドキュメンタリー性に対する発言で、ノミネート者の多くが真実なのか演出なのかと考えさせる作品を発表している。もう一つはメディアの操作で、撮った写真をそのままストレートには出さないという特徴が何人かの行動に見られる。

真実と演出がもっとも巧妙に入組んで感じられるのが、Brotherusのセルフポートレートだ。 涙でぐちゃぐちゃになった顔、バスタブのなかで裸でうずくまる姿、凍てついた表情でベッドに横たわる姿と、作品には彼女の孤独が写し出されている。ここで疑問に感じるのが、私達は彼女の私生活を覗いているのだろうか?ということだ。私には計算されたシーンのように思えてならない。真実にしてはあまりにも決まり過ぎていて、テレビのメロドラマのワンシーンを見ているような気にさせられるのだ。さらにこの人工性は、演出効果を高めるために添えられたとみえる寂寥感あふれる風景写真からも漂ってくる。

diCorciaの「Head」シリーズにも演出の要素がみえる。聖母マリアのような穏やかな笑みを浮かべた女性がライトを浴びて写る。白髭、山高帽の紳士がビロードのような漆黒から浮き上る。映画のなかのヒロインまたはヒーロー、というのが第一印象だ。しかし、現実はそのイメージとは程遠い。被写体は役者でもなければモデルでもない。ニューヨークのマジソンスクエアの雑踏を行く見ず知らずの通行人だ。撮影もイメージがほのめかすスタジオ撮影とは違い即興だ。撮影は隠しライトを用いて被写体が気づく間もなく瞬時に行われているということだ。解体してみると、ドキュメンタリー写真の内容をファッション写真と映画のスタイルで包み、ポートレートに仕立ててしまった写真ということになる。

Ballenのモノクロ写真にもドキュメンタリー性と演出とのミックスが感じられる。一連の作品には南アフリカ共和国の片田舎の町に住む貧しい人々が写されている。ある者は貧困に加え肉体的または精神的障害をも持っているように見える。ある男は腐ったようなズタズタの足を持ち、別の男はヨダレを垂らしながら知能傷害者のように立つ。バレンにとって彼らは被写体であるとともに一緒に舞台をつくる役者だ。彼らは写真家の支持に従い、豚や猫などの動物と一緒に様々なポーズをとる。行き届いたアレンジにより仕上がった写真は洗練されたフォルムを見せる。しかし、その決まったフォルムのなかでモチーフになりきっている彼らは、自主的な行為とはわかってはいながらも、写真家に踊らされている道化のようで目をそむけたくなる。ダイアン・アーバスやボリス・ミハイロフの世界にチラつく搾取がここにも感じられる。

一転してRuffのポートレートからは、ドキュメンタリー性が強く感じられる。少女の肩から上を写した「Portrait」は、巨大サイズ(210x165cm)の証明写真のように見える。こうまでアップされると、写真は身体的特徴を包み隠さず暴露する標本のように感じられる。ルフはこの他にデジタル修正・加工を施した作品も出品している。建築物を撮った「w.h.s. 01」では背景がレタッチされ、余分なものの削除と色調節が行われている。ヌード写真ではもう一歩進み、インターネット上のアダルトサイトで見つけたイメージを加工し抽象画がかったイメージに仕立てている。つまり、写真の重要なプロセスである撮影を省いて代わりにレディーメードを用いた作品だ。商業アートやネット文化では珍しくないこの行為も、こういう場で出会うと新鮮に感じる。

生まれ故郷テヘランの日常を写す Shahbaziも複雑なプロセスを好むようだ。複数の写真と絵画からなるラージューのような作品「Goftare Nik series」には、制服姿の兵士、黒いベールに身を包む女、子供を抱く母、茶の間で寛ぐ男などとテヘランの日常が表されている。面白いことに、ところどころにミスマッチに見えるポップアート調の絵画が紛れ込んでいて、プロパガンダ・ポスターのなかの政治家のように一般人が描かれている。これらは、シャーバジが撮った写真をもとにポスター専門の画家が描いたものという。写真に収められた現実が画家の手によってドラマチックに脚色されたような印象をあたえる。

気になる賞の行方は、今月28日にAgnes b (アニエス・ベー)によって発表される。去年はタブー性の強い作品を発表したボリス・ミハイロフが賞を掻っ攫った。今年の審査員はどの点を重視するのだろうか。

伊東豊子(Toyoko Ito)、2002年2月


ノミネート者名:
Roger Ballen (USA),
Elina Brotherus (Finland),
Philip-Lorca deCorcia (USA),
Thomas Ruff (Germany)
Shirana Shahbazi (Iran)


2004年のレポートはこちら
2003年のレポートはこちら
2001年のレポートはこちら

Hannah Starkey: Untitled, August 1999

Philip-Lorca diCorcia
Head # 23, 2000-2001
Courtesy: The Photographer's Gallery




Elina Brotherus
I Hate Sex, 1998
Courtesy: The Photographer's Gallery




Jem Southam: Whale Chine, 2000

Shirana Shahbazi
Goftare Nik series, 2000/2001
Courtesy: The Photographer's Gallery

 

The Citigroup Private Bank
Photography Prize 2002

020201- 020331

The Photographers' Gallery
5 & 8 Great Newport Street
London WC2H 7HY
020 7831 1772
www.photonet.org.uk

地下鉄:Leicester Square (Piccadilly, Northern Line)
月―土:1100 -1800 日: 1200 - 1800


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Boris Mikhailov: Case History, 1999

Thomas Ruff
Portrait, 2001

Courtesy: The Photographer's Gallery

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地下鉄:Leicester Square (Piccadilly, Northern Line)

月―土:1100 -1800 日: 1200 - 1800



Roger Ballen
Puppy between feet, 1999
Courtesy: The Photographer's Gallery

Hannah Starkey: Untitled, August 1999

Philip-Lorca diCorcia
Head # 13, 2000-2001
Courtesy: The Photographer's Gallery




Roger Ballen
Cat Catcher, 1998
Courtesy: The Photographer's Gallery